親の口ぐせ「別に不満ないしこのままでいいよ」
筆者はガラケーからスマホに変えて約7年ほど経つだろうか。
当時ガジェットに強い同僚に「このスマホにしなよ!」と勧められて購入したHTCの「DesireHD(001HT)」で無事スマホデビューを果たしたのが懐かしく感じる。
ガラケーとは比較にならない大画面に革新的な操作性。
社会人になってしばらくたっていたにもかかわらず「こんなにワクワクすることってまだ起こるのか!」と年甲斐もなくはしゃいだ記憶がある。
あれから時は流れ、いまやスマホは日常生活に欠かせないアイテムとして完全に定着した。
あんなに小さなデバイスて電話がかけられて、文字で連絡がとれて、デジカメとしても使えて、わからないことがあればその場で検索したり、ヒマさえあればゲームで時間をつぶすことだってできる。
しかし残念なことに、こんなに便利なアイテムをまだ所持していない人間が身近にいることを忘れていた。
その存在とは「両親」である。
筆者の両親は60代だが、もともとガラケーを持つのもかなり遅かった。特に母親はそういうデジモノに関心がなく「使わないからいいよ」と長年モバイルなしの生活を送っていた。
確かに旧来の友との頻繁な付き合いもなさそうだし、実家に連絡するのは固定電話だし、なにかのお稽古事をしているわけでもないし。
かくいう自分もPHS全盛期の頃に青春時代を迎えていたが、家に連絡するときはテレホンカードを使って公衆電話で電話した記憶しかない。
思えば、子供たちが高校・大学と進学するにあたって、行動範囲や活動時間も広がることからようやくガラケーを持つようになった気がする。
そしてその時から母はずーっとそのガラケーの系譜を大切に守ってきているのである。
つい先日も「格安SIMもいろいろ出たわけだし、そろそろスマホにしたほうが安く済むんじゃない?」とさりげなく話題を振っても「いいよ別にこのままで。別に困ってないし、面倒でしょ?」とそっけない返事が返ってきた。
モバイル関連に関心のない人種は本当にこの程度なんだなぁと改めて思い知らされると同時に、どうやったら母のガラケーをスマホに変えることができるのかをずーっと考えているのだ。
ガラケーでできることはスマホだともっと便利になる
母はここ最近ずっと孫(筆者の兄弟の子供)のお世話にお熱なのだ。それはもう頻繁に写真やビデオを撮って自慢してくるくらいに。
でも写真やビデオを撮るシーンって何かの行事の時が結構多かったりする。
普段何気なく会う機会でデジカメやビデオカメラを持参していることはほとんどないのだ。何気ない日常こそシャッターチャンスが多いにもかかわらずね。
そこで母は日常の様子をガラケーのカメラで撮影を試みるのだが「なんだか映りが悪くてねぇ……」と不満げな様子をみせている。
なんだ、ガッツリ不満点あるじゃん。
些細な気づきだった。
スマホを単なるガラケーの代わりの電話機としてしか考えていなかったのがうまくいかなかった原因だとわかった。
なんてことはない、スマホを「何でもできる魔法の道具」として教えてあげればよかっただけなのだ。
それこそ自社のスマホを売り込みたい販売員のごとく「こちらのほうがお孫さんの顔も様子も鮮明に記録出来て、ご旅行や行事がもっともっと楽しくなりますよ。しかも電話や通信をそれほど使われないのであれば、ガラケーよりもオトクなプランも選べますよ。」てな具合にね。
ガラケーを使う意味を否定するのではなく、スマホだとガラケーでできることがもっと簡単にハイレベルで実現できるんですよ、と説いていくほうが確実だよね。
自分が使っているものよりも安くて性能がいいものが当たり前になっていることを知れば、よっぽど意固地になっていない限りはうまく移行してくれる。
こちらにも不満があることを伝える
幸いにもうちの親にはそういうことがないのだが、よその家庭には「なにかわからないこと」や「買ってほしいものがある」と子供に連絡して手配させるということがあるようだ。
このネット全盛の時代にまだそんなルームサービス感覚で他人をこき使う人種がいることにも驚きだが、これは裏を返せば自分で出来ないから他人に頼るしかないということでもある。
「いい年こいた大人が気軽に他人を頼ってんじゃねぇ!」と突き放すのはさすがに乱暴だが、自分でできるようになる喜びを感じてもらうと、たかだかネット通販のひとつであろうとボケ防止くらいにはなるんじゃないかな?つまり自分でやれるように環境を整備してあげれば自分でやるようになるのだ。人間なんてそんなものである。
こちらがやりたくないから一方的に邪険にするのではなく、自分でできるように環境整備をしてあげることで、ネットを便利な手段として身近に感じてもらい、ネット界における自立を促すことができる。
あと個人的な問題でケチ臭い悩みだと思われるかもしれないが、親とのやりとりに未だにショートメールを使っているので、送信のたびに3円ずつ利用料金がかかっているところも見過ごせない。
だってこれがLINEなりPCメールなりの代替手段に置き換われば料金不要になるわけだし、もっと気軽にコミュニケーションもとれそうだ。
もっとも料金がかかるからこそ無駄なメッセージのやりとりも少なくて済むということもあるわけだが……。金には代えられないかな?
らくらくスマートフォンは本当に必要か?
シニア世代のスマホとしてdocomoの「らくらくスマーフォン」のCMをしきりに見かけるが、あれは本当に必要なのだろうか?
もちろん簡単でボタンが大きくて操作がラクなほうがいい!という意見もあるし、実際に使っておられる方も大勢いるのだけど、そういった点では普通のスマホもアイコンサイズを調整すれば十分大きくなる。
個人的な意見だけど、らくらくスマートフォンはシニア世代をナメ過ぎだと思う。
理由としてはスマホなんてほとんどいじったことのないうちの母親ですら、筆者のiPadを軽々とつかいこなしているのを見ると別にスマホの操作なんて慣れてしまえば全然難しくないはずなのだ。
したがって最初から「らくらくスマートフォン」に落ち着くのではなくて、ぜひ一度普通のスマホを試してから判断して欲しいと思う。
今ならキャリアのショップや近くのイオンか何かに行けば必ずスマホのデモ機が展示されているから、そこでしばらく触ってみるといい。
筆者はアップルの回し者ではないが、シニア世代こそiPhoneを使うべきだと感じている。
らくらくスマホよりもはるかに直感的で、操作感も良くて、性能が高いからね。
それでもどうしてもらくらくスマホのほうがいいというのであればその選択を止めることはない。
シニア世代とは数十年という時代の移り変わりを生き抜いた歴戦のツワモノたちである。これまでも家電や生活様式などの移り変わりにしっかり対応してきたはず。
時間こそかかるかもしれないが、必ずやスマホを使いこなすことができるようになるだろう。
親を説得してスマホにさせるには
一番大事なのは親が一番関心のある話題にスマホを結びつけることだ。
たとえば野球や大相撲が好きならそれらのニュースをスマホで簡単にチェックできることをアピールしてもいいし、さっきも取り上げたように旅行や孫の様子をしっかり残したいならスマホの高画質なカメラをおススメしてもいい。
もうすこしデジタルガジェットに関心のある方なら音楽の聴き方、動画の視聴方法、簡単なゲームの紹介をしてあげるのもアリだ。
さらに最近は健康志向の強い方も多いので、歩数計機能や日々の体調をチェックできるアプリを使えるようにしてあげると喜ばれるかもしれない。
このように電話機や連絡手段として単純にスマホを押し付けると「別に今はいいよ」と拒否されてしまうので、スマホが便利で使い勝手の良いものであるという切り口で攻めていくとまた違った反応を得られるだろう。
そして、とにかく子供や孫とのコミュニケーションツールとしてスマホは標準なんだよということをそれとなく伝えてあげることで、デジタル弱者としてシニア世代があぶれることなく円滑な意思疎通がとれるようになるので、ぜひともシニア世代のスマホ化が一層進むといいなと思う次第である。